海外慣れしてる人に惹かれる

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こんにちは、ねこじまデス

 

今日も小泉八雲の話をします!というか読んでて考えたこと!

 

 彼の本を手に取った理由は、昨日の記事を読んでね〜

 

 

 

 

海外慣れしてる人が好き

彼の本を読んでいろんなことおもったけど、結論、私は、海外慣れしてる人にとても惹かれるんだとおもう。

 

でもそれは「英語ができてかっこいい〜」とか「異国の地でサバイブできて勇ましい〜」とか、そういう安直なものではなくって。

 

 

 

どの部分に惹かれるかというと

 

「この世には色んな価値観がある、常識がある、文化がある」ことを知ってる部分に惹かれている。

 

 

 

これは、海外かぶれしていると逆に持っていない感覚でもある。

 

意外でしょ?

 

でもそうなの!

 

すぐに「アメリカだとこんなん〜だよ。」とか「西洋だったらこれはこうだから日本はこうすべき。」って結論を急ぐ人は、逆に知らないことなの。

 

だってその人は「異国の常識」っていう、新しい常識を用いてるだけだから。その人は海外でいろんなものを学んだと感じてるとおもうけど、大事なところに気づいてないから。

 

 

 

だからね、私が惹かれるのは

 

「日本の常識は世界の常識じゃないし、世界の常識も日本の常識じゃないし、この世に正解はない。ということを知ってる人のことなの。

 

更にいえば、「私たちが思ってる常識は、私たちの周りの教育・宗教・文化によって作られたものだよね。」

 

ってくらい、俯瞰的に人間界を見れる人。

 

そういう人に、とても惹かれるし、なりたいとおもうの。

 

海外に行ってればもれなく持ってる感覚ではないからこそ、この感覚を持ってる人にとっても惹かれる。別に奇抜な、常識破りの生き方してなくていい。

 

だけど、感覚として「この世に絶対はないよね。国・文化・立場を変えれば見えることも真実も変わってくるよね。」という部分を持ってる人がとっても好き。

 

 

 

そして小泉八雲の本を読んでいて思ったのは

 

彼は論じるまでもなく、この感覚を持ち合わせていただろうなぁということ。

 

まぁ何ヶ国も(彼の言葉で言う)漂白の旅して暮らしていれば、そりゃそうだよねって話なんだけどね!

 

 

 

『克服し難い難問』

 今日紹介するのは、昨日と同じ本の中に収録されてる一章。

 

 

この話そのものが、私が言ってる

 

「この世には色んな価値観がある、常識がある、文化がある」

 

について直接話されてるわけじゃないんだけど

 

 

 

だけど、この話で論じられてる内容が、

 

「西洋人ならわかって」

「日本人ならわからない」

 

ものだから、面白くて、取り上げてみました。

 

こういうの読むと、いかにそれぞれの国に、“名もない独自の文化”が根付いてるかわかるのでスキなのです

 

というか国における考え方の違い、とか、文化によるものごとの捉え方の違い、とか、そういうの心底おもしろいんだよネ〜。好奇心がとまらん

 

 

 

これは授業形式でかかれた文章なので、昨日紹介した『旅人心理』(タイトル捏造)とは全然違う印象を受けるんだけど

 

彼の文章はちょっとかたいから、私が現代っ子風に訳してみます

 

 

今日は、英米文であれ、いかなる西洋文学であれ、それらを研究しようとする日本の学生たちが、必ずや直面しなければならない最大のわかりがたさについて述べてみたいとおもいます。

 

この問題は未だかつて適切に論じられたことはないように思われます。 

 

引用:「作家の自伝82 小泉八雲」

 

『日本人が西洋文学を読む上で出会う「わかりづらさ」についてお話するよ。この問題は誰も上手に論じたことないんじゃないかな』

 

 

 

 

 

外国人教師であれば、この問題を説くのに躊躇するのは無理からぬことでしょう。

 

ーなぜならば、外国人教師がただたんに西洋人の見地に立って説明しようとすれば、理解される見込みはないからです。また、彼が日本人の見地に立って論じようとすれば、さまざまな間違いを犯したり、見当違いの放言をしたりするに違いありません。

 

適切な説明というものは、西洋の生活に共感し得るほどその社会事情に精通している日本人の教授によってのみ、初めてなし得ることでしょう。しかし、このような日本人の教授は、次のような理由から見出しがたいと思われます。その教授が、西洋の生活に共感の概念を示せば示すほど、それに比例して、学生たちにその共感の念を伝授することがむずかしくなるからです。このむずかしたるや並大抵のものではないですから、それがどの程度のむずかしさであるかをいくらかでも了解するまでに、私などは多年を要したくらいです。

 

今日、その問題が取り除かれたなどということは、まったく考えられません。でも、たとえ不十分ながら、その問題について述べたててみることは、幾分裨益すつところがあるかも知れません。間違いや放言は覚悟の上で、一度試してみようと思います。

 

引用:「作家の自伝82 小泉八雲」

 

『西洋人として説明すると日本人には理解されないし、日本人として説明すると上手に出来てなくて間違えると思う。』
『西洋の生活に慣れた日本人なら説明できるかもしれないけど、西洋に慣れれば慣れるほど、それを説明することは難しくなる。』
『私もうまく説明できるとは思わないんだけど、間違いは覚悟の上で、ためしに説明してみます。』

 

八雲さん、ちょっとまわりくどいなぁ〜笑

 

 

  

つい先頃、最も聡明な学生の一人と話した折、彼は西洋の生活におけるごく当たり前の事実をまったく理解できない、と私に告白したので、私はぜひ一度試してみようと思い立ったのです。すなわち、この事実とは、直接的であれ、間接的であれ、その生活の反映である西洋文学における女性の地位に関連している事実なのです。

 

『さっき、西洋文学における女性の地位について、日本人の学生に理解できないっていわれたの。』

 

この「西洋人には理解できて日本人にはわからない感覚」って、すごく好奇心をくすぐられるよね、わからないことをわかりたい、って思うよね。

 

 

 

ただちにその論拠を明らかにするために、そのいくつかの事実を、できるだけ平明かつ単純な言葉で述べてみることにしましょう。

 

みなさん、最高の道徳地位が、男性の女性に対する献身というべきものによって占められいる、ある国を想像してみてください。

 

男性の最高義務は、父親に対してではなく、妻に対してあります。しかも、世間的な羈絆が、夫婦関係に障害を及ぼす場合があれば、夫は彼の伴侶のために一切の世間的な羈絆を棄てて顧みないというものです。

 

 

『西洋では、女性への献身が道徳的に優先すべきこととしてナンバー1。親に対してでなく、妻に対して献身的でなければならない。』

 

 

 

そのような国では、夫婦が両親と一緒に暮らすようなことにでもなれば、不自然で奇妙なことのように思われるでありましょう。

 

身の危険に際して、女性はいの一番に救出されなければなりません。楽しみごとの場合には、女性は最上の席を与えられなければならない。苦難に臨んでは、男性側は、互いに分かち合うべき女性の苦痛の負担をできる限り進んで引き受けてあげなければなりません。

 

 

『だから夫婦と両親が一緒に暮らすのは不自然だし、かなりレディーファーストで扱わなきゃいけない。』

 

 

 

 

女性は一つの宗教であろうか?まぁみなさんがアメリカに出かけてみれば、たぶん自分の目でそのことを確かめる機会があることでしょう。そこでは、昔、高僧や大貴族にのみ払われたのとまさしく同等の崇拝の念をもってして、男性が女性をぐうしてるのを目の当たりにすることでありましょう。

 

さて、人間に対してであれ、あるいは偶像に対してであれ、畏敬の念、忠誠、あらゆる犠牲が捧げられてる場合には、われわれは崇拝(worship)という言葉を考えがちです。そう、それは確かに崇拝といってよいものでしょう。

 

『言ってしまえば、女性は宗教でしょう。そう、宗教というからには、私たちは女性を崇拝してるんでしょうね。』

 

 

 

一方、ある西洋人の私がこのように述べてるのを耳にすれば、彼がたまたま哲学者でもない限り、この主張がもっと柔らげられることを望むでしょう。しかし私は、みなさんがこういった事実を最もよく理解できるようなやり方で、はっきりと説明してみたいと思います。

 

英文学を学ぶ学生が理解しようと努めなければならぬ最も重要な事柄は、西洋諸国においては、女性は一個の崇拝対象であり、宗教である。あるいは、みなさんがもっとわかりやすい言葉を好むのであれば、女性は一個の神である、と私は主張したいと思います。

 

『だけど西洋人がこの説明を聞いたら「いやいやそんな宗教ってなんて大げさだって〜」と言われてしまうくらい、違和感があるでしょう。』
『だけど日本人に伝えるなら、そういう風にしか言えません。西洋諸国においては、女性は一個の崇拝対象であり、宗教である。あるいは、みなさんがもっとわかりやすい言葉を好むのであれば、女性は一個の神である、と。』

 

 

 

私はみなさんにこの感情に共感してくれるように頼んでいるわけではありません。しかし、みなさんがその感情に共感を示すことができるならば、さもなければ依然として曖昧で不可欠なまま打ち捨てられるにちがいない西洋の書物における多くの事柄を了解することになるでしょう。私はみなさんがそれに共感してくれることを期待してるのではありません。でも、この感情の言語および文学に対する関係を理解することは、絶対的に必要なのです。

 

従ってみなさんは、この感情を、一種の宗教、すなわち一個の原生的で、社交的かつ芸術的宗教として考えなければなりません。そしていかなる国民的宗教とも混同してはならないのです。これは一種の民族的感情、ないしは民族的信仰といったものに他なりません。これはなんら美的観念からではなくて、あるきわめて古い迷信的な考えから生じているのです。比類なき至高の感情、信仰、芸術といったものは、すべからくそれらの起源を、名もない賤しい土地に求めることができるのです。

 

 

『私は日本人にこの感情に共感してほしい、と思っているわけではないの。だけど、この感覚がわからないと西洋文学は楽しめないよ。っていうのは伝えたいの。』
『これは、原生的・社会的・芸術的な、一種の宗教なの。これは民族的信仰からきたもので、ふる〜い迷信的な考えからきてるの。』
『この宗教の起源は、名もない賤しい土地にあるの。』

 

 

 

ちなみに、なぜ西洋では女性というものの存在が尊く考えられているのかの理由がちょろっと述べられている。(大昔に始まったもので、キリスト教が始まるよりも前に始まった信仰が起源らしい。)

 

でもここではそれが本題じゃないって八雲さんも言ってる。

 

実際私の目的は、この感情の進化論的変遷について、みなさんの頭を煩わせてもらおうということではありません。ただこの感情が、文学においていかなる意味をもっているのかを、みなさんに考えてもらいたいまでです。

 

 

 

私の「現代っ子訳」が合ってるかはわからないけど、八雲さんの言いたいことがなんとなく伝わっただろうか・・・。

 

『西洋独特の女性に対する認識』が、なんとなく伝われば八雲さんは嬉しいと思うし

 

私としては、伝わっても伝わらなくても嬉しい。

 

つまりその、「女性に対する西洋での考えかた」が、日本では適切な表現がないようなしろものっていう部分が、私は面白いと思ってるから。

 

 

 

それってすごく不思議なことじゃない?

 

でも、そっちがこの世界の真実なんだよね〜

こっちのほうが当たり前なんだよね〜

 

 

 

私たちが「常識」と思ってるもの

・・・「親を大事にする」とか「親孝行すべき」とかそういうのも

日本という国で生まれた文化のひとつで

 

名もない賤しい土地から生まれたもの(神社とかお城で生まれたんじゃなくて、そのへんの庶民の暮らしの中で生まれたものってことかな)なんだよね

 

私たちは、自分が思っている以上に、そういう、宗教なんて言い方でうまく言えない信仰の中で生きてるんだよね。

 

 

 

もともとこの考えは強く持ってるんだけど、彼の文章を読んで、その部分を改めて考えたし、

 

文章にしてみたいなっておもえたから、今日はちょっとブログに書いてみました。

 

 

 

これから留学に行く人、旅する人も、ぜひそう言う目線で海外を見てきてほしいな〜!

 

 

 

あなたにとっての当たり前は、海外では当たり前じゃない。

 

「だから海外の真似しよう」っていう方向に結論を急がないで、

 

世の中には正解がないから頭のタカを外して考えればいいや」って方向性に、

 

考えが運ぶように、なってほしいな。

 

 

 

私もいつまでも、

 

海外諸国という日本との比較対象を持ちながら(色んな国で色んな体験しながら)

 

それを安易に真似したりどちらかに正解を求めたりせず

 

その土台の上で自分の頭で考える人間でいたいなぁ

 

って思うのでした

 

  

 

 

ちなみに、この本の『至高の芸術』という他の章もすっごいよかったから、おすすめしたい。これは、芸術や文学の道を目指す貧乏人に読んでもらいたい章!

 

以上、 デハデハ、ねこじまでした!

 

 

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